屋形船 周遊航路
コースの紹介
木場 → お台場
(レインボーブリッジ下)
吉野屋乗船場から出船
豊洲市場・晴海埠頭など眺めながら進むと
お台場沖・レインボーブリッジ前に到着
(出船から約40分で到着)
(お台場沖で1時間程停泊します)
フジテレビ本社などがあり
対岸には東京タワーや超高層ビル群の灯
東京湾からの夜景をお楽しみいただけます。
木場 → 隅田川桜橋辺り
(墨堤公園前)
吉野屋乗船場から出船
色・型が様々な隅田川の橋を眺めつつ
下流から上流に進む程大きくそびえ立つ
スカイツリーが間近にご覧いただける
隅田川桜橋付近に到着
(出船から約40分で到着)
(隅田川沖で1時間程停泊します)
「江戸の風流へ、タイムスリップ!」
隅田川の船遊びをお楽しみいただけます。
周遊航路図
日本橋・晴海・吾妻橋からは、予約と桟橋使用料が必要になります。
潮位、天候により桟橋が使用できないこともございます。
お申し込みの際に、お早めにお申し出くださいませ。
お台場コースの見どころ
[吉野屋乗船場]
木場から出船!2時30分周遊して帰港します。
吉野屋乗船場から出船、豊洲・晴海旅客船ターミナルなど眺めながら進みお台場沖・レインボーブリッジ前で1時間程停泊。帰りは隅田川を上って永代橋まで行き深川木場に帰港します。
[豊洲貯木場]
〜とよすちょぼくじょう〜
かつての木場の跡地。隅田川を下って運ばれてきた木材を集積した場所で建築用に切り出された資材は、乾燥しないように丸太のままこの河口に集積されストックされた。機能していた豊洲やお台場の木場は新木場に集約されている。貯木場の後ろは豊洲の高層マンション群、ララポート豊洲などがある。
[トリトンスクエア]
〜とりとんすくえあ〜
朝潮小型船乗り場がある黎明橋の隣には、94mの動く歩道橋トリトンブリッジが架かっている。これを渡ると「晴海アイランド・トリトンスクエア」。3棟のオフィスビルを中核とした複合商業施設、構想集合住宅と公園からなる街で平成13年(2001年)にオープンした。
[お台場海浜公園]
〜おだいばかいひんこうえん〜
お台場とは江戸幕末期に、来航する外国船に対する砲台を設置した場所。第三台場には今も台座が残っている。水辺に沿って、公園、ボードウォーク、展望デッキ、レインボータウンの景観、波静かな海、砂浜、緑の散歩道などがある。
[アクアシティお台場]
〜あくあしてぃおだいば〜
平成12年(2000年)4月に誕生したショップ・レストラン・アミューズメント施設。隣接して球体の展望室が目立つメタリックなフジテレビ本社、日本におけるフランス年の一環として設置された自由の女神像がある。
[レインボーブリッジ]
〜れいんぼーぶりっじ〜
港区芝浦地区からお台場地区を結び、東京湾海上に架けられた長さ798mの吊り橋。
平成5年(1993年)8月にオープンした。
「レインボーブリッジ」の名前は一般公募により決められた。
日没から24時までライトアップが行われる。
444個のイルミネーションライトで橋全体をライトアップ。
白色にライトアップされた主塔と時間によって切り替わるケーブルイルミネーションが、東京港の夜を美しく彩る。
この橋は二階建てで上階は高速道路、下階は一般道路と歩道、そして「新交通システム・ゆりかもめ」が走り、東京港の新しいシンボルとなった。
[浜離宮恩賜庭園]
〜はまりきゅうおんしていえん〜
江戸時代は将軍家の鷹狩り、鴨狩りの場で六代将軍家宣が汐入回遊式庭園として完成させた。明治維新で皇室の離宮となり、観桜会も開催された桜の名所。戦後一般公開されるようになり、鴨狩り場も復元されている。
[勝鬨橋]〜かちどきばし〜
創架は昭和15年(1940年)。日本で現存する数少ない可動橋(跳開橋)であるが、現在は跳開することはない。西岸(築地側)には東京の食を支える「中央卸売市場」がある。平成19年(2007年)都道府県の道路橋として初めて、清洲橋、永代橋と共に勝鬨橋が国の重要文化財(建造物)に指定された。
[佃大橋]〜つくだおおはし〜
創架は東京オリンピックの開催された昭和39年(1964年)で、名前は「佃の渡し」 から付けられている。西岸に明石町、東岸に佃、高層マンションが多く並ぶ。一方昔の面影を残した町並みもある。徳川家康公がこの地に摂津国の佃村(現在の大阪市西淀川区佃)の漁師を移住させ、江戸城内の台所をまかなう特権を与えた。この漁師の保存食が価格の安さから江戸庶民に普及し「佃煮」と命名されたという。
[中央大橋]〜ちゅうおうおおはし〜
創架は隅田川の橋梁群の中ではかなり新しく平成5年(1993年)。都市景観やデザインに気遣いある中央区のシンボルとしての橋。「隅田川」 はパリの 「セーヌ川」 と友好河川を提携しており、橋脚に置かれた彫像は友好の印として贈られた。フランス人彫刻家オサップ・ザッキン作の 「メッセンジャー」 という作品であり、彫像は川側を向いている。なお、このお礼にパリ市に「屋形船」を寄贈している。
[リバーシティー21]
〜りばーしてぃー21〜
中央区佃にある超高層マンション群。個々の高さやデザインを少しずつ変えながらも全体として統一された外観は評価が高い。隅田川を前に夜は夜景が美しく、春は花見でも賑わうウォーターフロントの憩いの場となっている。
[永代橋]〜えいたいばし〜
元禄11年(1698年)、5代将軍徳川綱吉の50歳を記念して架けられた、隅田川4番目の橋。東側一帯が永代島と呼ばれていたのがその名の由来である。赤穂浪士が討ち入り後に渡ったのがこの橋で、その後深川八幡の大祭の際に大群集を乗せたまま橋が落ち、数千人の犠牲者を出すなど数々の歴史がある。平成19年(2007年)都道府県の道路橋として初めて、清洲橋、勝鬨橋と共に永代橋が国の重要文化財(建造物)に指定された。
[相生橋]〜あいおいばし〜
佃と越中島をむすぶ橋。この橋の創架は明治36年(1903年)、現在の橋は平成10年(1998年)に架け替えられた。隅田川では珍しいトラス桁橋。橋詰には東京海洋大学に展示されている「明治丸」がある。橋下には隅田川唯一の水上公園である中の島公園があり憩いの場として親しまれている。
[吉野屋乗船場]
木場に帰港!
お疲れ様でした
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またのお越しをお待ちしております。
スカイツリーコースの見どころ
[吉野屋乗船場]
木場から出船!2時30分周遊して帰港します
吉野屋乗船場から出船、スカイツリーが間近にご覧いただける隅田川言問橋・桜橋辺り(墨堤公園前)で1時間程停泊、帰りは隅田川を橋を巡りながら下っていく往復のコースです。
[相生橋]〜あいおいばし〜
佃と越中島をむすぶ橋。この橋の創架は明治36年(1903年)、現在の橋は平成10年(1998年)に架け替えられた。隅田川では珍しいトラス桁橋。橋詰には東京海洋大学に展示されている「明治丸」がある。橋下には隅田川唯一の水上公園である中の島公園があり憩いの場として親しまれている。
[永代橋]〜えいたいばし〜
元禄11年(1698年)、5代将軍徳川綱吉の50歳を記念して架けられた、隅田川4番目の橋。東側一帯が永代島と呼ばれていたのがその名の由来である。赤穂浪士が討ち入り後に渡ったのがこの橋で、その後深川八幡の大祭の際に大群集を乗せたまま橋が落ち、数千人の犠牲者を出すなど数々の歴史がある。平成19年(2007年)都道府県の道路橋として初めて、清洲橋、勝鬨橋と共に永代橋が国の重要文化財(建造物)に指定された。力強い印象のアーチ橋を過ぎると西に日本橋川、さかのぼれば十数分で日本橋に着く。
[隅田川大橋]〜すみだがわおおはし〜
創架は昭和54年(1979年)隅田川唯一の二層式のこの橋は、「首都高速道路9号深川線」 建設にあわせて架橋されたもの。西岸(箱崎側)には東京シティーエアターミナル(TCAT)がある。
[清洲橋]〜きよすばし〜
西の中州町、東の清澄を結んで架けられたことにちなんで、公募によって橋名が決められた。関東大震災後の復興事業のひとつとして、当時、世界でも美しい橋として知られていたドイツのケルンの大吊橋をお手本に昭和3年(1927年)に完成した。平成19年(2007年)都道府県の道路橋として初めて、永代橋、勝鬨橋と共に清洲橋が国の重要文化財(建造物)に指定された。
[芭蕉庵史跡展望庭園]
〜ばしょうあんしせきてんぼうていえん〜
清洲橋を過ぎて灯篭流しで知られる小名木川(江戸期の運河)に入る角地に展望公園とさらに隅田川沿いに芭蕉記念館がある。芭蕉庵はかつてこの辺りにあってここから「奥の細道」への旅に出た。当時の風情を模した築山があり、「古池や・・・」の句碑や芭蕉翁像が立つ。
[新大橋]〜しんおおはし〜
最初に新大橋が架橋されたのは元禄6年(1693年)。千住大橋、両国橋に次いで隅田川3番目の橋で、日本橋と深川が初めて陸路によって結ばれた。名前の由来は「大橋」と呼ばれた「両国橋」に続く橋として「新大橋」と名づけられた。明治45年(1912年)に鉄橋として現在の位置に架け替えられ(貴重な建築物として愛知県の博物館明治村に移築)、昭和52年(1977年)に現在の橋に架け替えられた。
[両国橋]〜りょうごくばし〜
江戸最大の大火といわれる 「明暦の大火」(1657年)の被害を教訓に避難路として架設されたのが万治2年(1659年)、隅田川2番目の橋となる。明治37年(1904年) に鉄橋となり、昭和7年(1932年) に現在の橋となる歴史ある橋。「隅田川花火大会」 の前身である 「両国橋大花火」は享保18年(1733年)5月28日に始まったとされる。屋形船が賑わい両岸に並ぶ茶亭の灯影、江戸浄瑠璃と江戸文化がこの橋を中心に花咲いた。東側には国技館、江戸東京資料館、安田庭園、吉良邸跡などがある。
[蔵前橋]〜くらまえばし〜
創架は昭和2年(1927年)関東大震災の復興計画によるものであった。橋名の由来は、西岸側の地名「蔵前」から付けられている。江戸時代初期、西岸に1番から8番迄の堀があり、幕府直轄地でとれた米を蔵米として積み出し、これを扱う商人を札差しと呼び大変な利益を上げ権勢を誇った。橋体の黄色は稲の籾殻の色をイメージしたという。
[厩橋]〜うまやばし〜
創架は明治7年(1874年)それまでこの付近にあった 「御厩(おんまい)の渡し」 に代わって民間の手により架設され、隅田川第6番目の橋となった。幕府の 「御米蔵」があり米の運搬のための厩があってことが名の由来。明治26年(1893年)に鉄橋となり、現在の橋は昭和4年(1929年)に震災復興橋梁として架設されたものである。
[駒形橋]〜こまがたばし〜
創架は昭和2年(1927年)関東大震災の復興計画によるものであった。この辺りには江戸の頃から 「駒形の渡し」 があった。西側の橋のたもとにある駒形堂(馬頭観音を祀った堂)が名前の由来。橋の構造はアーチ橋で、隅田川に架かる橋の中でも橋梁工学上特色のある橋の一つにあげられている。
[吾妻橋]〜あづまばし〜
創架は安永3年(1774年)。江戸時代に隅田川に架橋された5つの橋のうち最後の橋である。明治20年(1887年)隅田川では最初の鉄橋として架設、現在の橋は昭和6年(1931) に架設。西側は人気観光スポット浅草があり、東側は花街の向島で金色のオブジェが個性的なアサヒビール株式会社本社ビルがある。
[言問橋]〜ことといばし〜
創架は昭和3年(1928年)。名前の由来は「伊勢物語」 にある 「在原業平(ありわらのなりひら)」 の詠んだ「名にし負わば いざ言問はん都鳥 わが思ふ人はありやなしやと」の古歌に由来しているという説が最も有力。桜の名所として著名な隅田公園が両岸にあり、約1キロに渡る桜並木は八代将軍徳川吉宗のはからいにより植えられた。西側(浅草側)からは東京スカイツリーの撮影スポットでもある。
[桜橋]〜さくらばし〜
創架は昭和60年(1985年)。隅田公園の施設の一つとして台東区と墨田区の共同事業で架橋された歩行者専用橋である。X型の曲線の美しい橋は周辺との景観との調和を考慮したデザインとなっている。隅田公園内には約670本の桜があり、日本さくら名所100選に選定されている。
[東京スカイツリー]
〜とうきょうすかいつりー〜
日本が世界に誇る電波塔が平成24年(2012年)5月に開業した。
スカイツリー最上部は634m、高さ450mの展望回廊、高さ350mの展望デッキ。東京ソラマチ、水族館やプラネタリウムも備えた一大レジャーゾーン「東京スカイツリータウン」は東東京エリアの観光名所となった。
昼間のスカイツリーは、白磁のようにかすかに青みがかった白ースカイツリーホワイトーが繊細な輝きを放つ。オールLEDのライトアップが輝く夜のスカイツリーは、タワーのもつ「そり」と「むくり」の美しさを際立たせる。ライトアップは1日毎に交互に現れる「粋ーいきー」「雅ーみやびー」。
「粋」は隅田川の水をモチーフとした淡いブルーの光でタワーを貫く心柱を照らし出したライティング。
「雅」は江戸紫がテーマカラー、金箔のようなきらめきのある光をバランスよくちりばめたライティング。「粋」「雅」以外にも、特定日にはスペシャルライトアップが行われる。